法律学校として発足した中央大学は、日本の法曹界を支えてきましたが、実業界やスポーツ界などにも多数の逸材を輩出しています。
中央大学は、1885年7月に、英国法に関する教授を行う教育機関の英吉利法律学校として設立されました。1889年10月に東京法学院大学と改称し、経済学科の設置により1905年8月に中央大学と改称しました。本拠を駿河台キャンパスから多摩キャンパスに移転しましたが、象徴の「白門」も移設されています。
中央大学校歌「草のみどり」 (作詞:石川道雄、作曲:坂本良隆)の歌詞「草のみどりに風薫る 丘に目映ゆき白門を 募い集える若人が 真理(まこと)の道にはげみつつ 栄ある歴史を承け伝う・・・」に、登場する「白門(はくもん)」は、中大の異称ですが、これは昭和初期には既に呼称されていました。「法」の持つイメージと東京大学の赤門にヒントを得て考え出されたものだとされています。かつての駿河台校舎の門柱・玄関の一部が、多摩キャンパス内に移設されて、白門のモニュメントとして保存されています。また、後楽園キャンパス正門の色も白く「白門」と呼ばれています。なお、駿河台校舎の跡に建てられたは駿河台記念館には、OB・OGが集い、思い出話に花を咲かせています。
中央大学の法曹養成の実績は、高等文官試験司法科の累計合格者数は324名、旧司法試験の累計合格者数はおよそ5,500名です。これは、法曹人口の4割を超える数となります。
中央大学の代表的な応援歌は、「あゝ中央の若き日に」 (歌詞選定:中央大学学友会、作曲:古関裕而)ですが、サークルや同窓会におけるコンパの締めなどによく歌われる「惜別の歌」 (作詞:島崎藤村、作曲:藤江英輔)は、旧制中央大学予科の歌でした。
「遠き別れに耐えかねて この高殿に登るかな 悲しむなかれ我が友よ 旅の衣をととのえよ
別れと言えば昔より この人の世の常なるを 流るる水を眺むれば 夢はずかしき涙かな 君がさやけき目の色も 君くれないのくちびるも 君がみどりの黒髪も またいつか見んこの別れ
君がやさしきなぐさめも 君が楽しき歌声も 君が心の琴の音も またいつか聞かんこの別れ」
元の詩は、姉妹の別れを詠んだもので、「悲しむなかれ我が友よ」は、「悲しむなかれわが姉よ」でした。藤江英輔は、戦後新潮社に入社し、現在は、株式会社同源社社長です。 昭和20年当時、軍需工場に動員されていた時に、島崎藤村のこの美しい詩に出会い、感動してすぐに曲を付けました。この歌は、動員学徒の口伝えで広まり、出征する友を送る歌となっていきました。戦後も、ずっと歌い継がれ、惜別の歌のエピソードは、小林旭主演の映画となりました。
硬式野球部は東都大学野球連盟の設立時からの加盟校で、東都リーグ24回、学生選手権3回、神宮大会1回の優勝を重ねています。OBにはプロ野球選手も多く、読売ジャイアンツの阿部慎之助、亀井義行、会田有志、元アメリカ独立リーグJohnstownJohnnies投手の金本浩司など、多数を輩出しています。アトランタオリンピック野球日本代表監督の川島勝司、メジャーリーグ解説者の福島良一、明大野球部監督で野球殿堂入りした岡田源三郎も中央大学硬式野球部出身です。
サッカー部は関東大学サッカーリーグ一部に所属、1962年には天皇杯を制しました。中央大学サッカー部出身の現役プロ選手も多いですが、サッカー日本代表監督や日本サッカー協会会長を歴任した長沼健、日本代表ユース監督の大熊清、日本代表ジュニアユース監督の須藤茂光、日本代表元ユース監督の八重樫茂生、日本代表元ユース監督水口洋次他、サッカー監督として活躍するOBも目立ちます。サッカー解説者の福田正博と金田喜稔も中大OBです。
ラグビー部は、関東大学ラグビーリーグ戦グループで1度優勝しています。小野澤宏時、長谷川慎、塚越賢、内山将文がOBです。
陸上競技部は、箱根駅伝1926年第7回大会の初優勝を皮切りに、過去最多の14回の優勝をしています。セビリア世界陸上マラソン銅メダリストの佐藤信之、ホンダのマラソン選手藤原正和などが中大出身者です。
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